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介護

わかってもらえて救われた★エネルギーの話?

更新日:

  1. 先日、無事成人式振袖着付けを終えた

というお話をしましたが、一緒に着付けをした

お仲間のHさん、今回は初めてご一緒させて

頂きました。

 

 

Hさんが去年ご一緒できなかったのは

介護をされているご家族が成人式前後に

ご在宅だったため。

今回は私が要介護の母がいるので、

見送ろうかなと思っておりました。

別に、成人式着付けで前泊があろうと

なかろうと、その1~2日のことは

ヘルパーさんもショートステイもあるので、

私が外出することは不可能ではありません。

が、振袖着付けに向けての練習が出来るか

出来ないかを考えた時、納得する練習をする

自信がありませんでした。

練習する自信がないから、

諦めようと思ってたのです。

 

 

決して練習時間がないわけではありません。

ずっと介護をしているわけではありませんから。

母が寝ている間に、いくらでも練習はしようと

思えば出来るんです。

でも、私には出来なかった・・・

 

そんなことをHさんに話すと、Hさんも

「それは私もできません」ときっぱり。

Hさんのご家族は、普段施設にあずかってもらい、

1~3か月に1度、1週間家に戻られるようなのですが

ご家族1週間の滞在中は、何もできないとおっしゃって

いました。

時間があるとかないとかの問題ではないよと。

 

 

多分、意識を他に向けられないんですね。

何をするわけでもないのですが、私は母に

ものすごくエネルギーを注いでいたんだなと思いました。

エネルギーを注いでいるという言い方もできれば

エネルギーを取られている、必要とされている

という言い方もできるでしょう。

 

 

それだけ人一人の存在って、大きいんですよね。

自分一人で自分のことが出来る人は、

エネルギーを自発できますが、介護が必要な人は

他者のエネルギーを必要としているのではないか

と思います。物理的に手がかかるのと同様

目に見えないエネルギーも、必要としていると

いうのでしょうか。

 

 

なので、母が亡くなった後、もちろん数日は

悲しみにくれましたが、同時に、振袖着付けの練習が

難なく出来たので、悲しみに暮れる代わりに

そこに意識を向けました。

 

 

そういえば、一度か二度だけ、

母が生きている時、練習できたことがありました。

自分の部屋に行く時、着付けの部屋を通るのですが

出来上がりの振袖を見て「凄いね」と言ってくれた

のを今思い出しています。

後にも先にも振袖着付け中に母を見たのは

それが最後でした。

 

 

それまで練習できなかったのに、なぜその時

出来たのかはわかりません。

 

 

確か、母が亡くなる1か月以内の出来事だったと思います。

もっと練習できるようにと、母が気遣ってくれたのでしょうか。

 

 

母に注ぐエネルギーは、かくして

新成人の人に向けられることとなり、

エネルギー循環とは面白いものですね。

 

 

エネルギーをどんどん自発してたくさんの人に

与えられる人もいれば、私のように、限られた

エネルギーを少しのことにしか使えない人も

いるでしょう。エネルギーが多かろうと

少なかろうと、与えられたエネルギーを

何に向けて生きるか、誰とのエネルギー交換を

して生きたいのか、そんなことを考えさせられ

ている昨日の今日であります。

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