SNSにしてもこういったブログにしても
人の目に見える「形」にしたものというのは、
ほんの一コマ
その一コマがどんなに楽しそうでも
どんなに充実しているように見えても
その他の部分というものが必ず存在する。
形にした部分が明るくまた、陽に見えても
形にしていない殆どの部分がそれとは
真逆であることも往々にしてある
という意味だ。
私はこのところずっとひとつのことを
考え続けている。考え続けている、
というよりは、取り組み続けている。
それは、自分の目に映るものはすべて
自分の内面を映し出した結果である
ということ。
これを徹底的に腑に落としたいのだ。
どんなに嫌な人が現れても、それは
自分とは別の他人という物体ではなく
自分の内面を演じて見せてくれている
存在である。
・・・私がSNSをやめたのもLINEアカウントを
思い切って削除したのも、すべてはそれを
理解するため。
目に見えるものに踊らされず、
目に見えるものは自分の内側の
映し出しであることを完全に理解するまで
踊らされることから一旦自分を守る必要を
感じたのだ。そしてそれはとても有効だ。
とても有効、では言い足りない。
それ以外に方法はないと断言しても
過言ではない。
それくらい、人間は周りばかりを見て
自分の内面意識、奥にある意識を
見ることが出来なくなってしまっている。
・・・と思う。
奥に到達するまで、本当の自分でない
ベールを幾重にも纏っているからだ。
このベールをはがす作業はとても
地味で地道。
人によっては面倒くさくて
「わからない」とやめてしまう。
しかし、幸いにして私は「わからない」
という言葉が嫌いだ。
自分のことなのに、わからないと?
人のことではない、自分のことなのに?
それは「わからない」のではなく
「わかろうとしない」だけ。
見ようとすれば見える、
見えないのは見ようとしないだけ。
私は見たい、自分の奥にあるものを。
そのためには、どうしてもSNSが
邪魔なんだ。
私の奥ではなく、誰かが作った世界が
先に目に入るから。
誰かの世界といっても、ほんの一部。
しかもそれは真実ですらない。
それを見た人の受け取り方だけが
その人にとっての真実になっている
というだけのこと。
自分の目に見える他人の世界さえ
実は自分の内面の映し出し。
この世界は、いえ、自分が見える世界は
自分が信じていることが現象化して
映し出される世界、
地球という次元はそれを体験する
場所らしい。
じゃあ、何が不幸なことなのかというと
幾重にも覆われたベール(情報)を
信じてしまっている世界を
映し出していること。
その奥にある本当の「わたし」が
映し出していることではない。
そのカラクリを読み解くのは
本当に難しい。慣れてないから。
そういう思考をしてこなかったから。
でもどんなに馴染みのないことも
繰り返しやってみては、自分で
確かめるということを繰り返す中で
いずれは習得していけるもの。
それはどんな人でも、能力関係なく
出来ることと言われている。
そして、誰もがそれぞれの
「わたし」のピースを完成
させるために、飛ばせないプロセス。
さてさて、前置きが長くなってしまったけ。
もはや前置きではなく一つのテーマのように
なってしまった。
楽しすぎたあのライブの裏側の私について
書こうと思ったのに(笑)。
そう、今のわたしは、全く踊る意欲がない。
クリスマスライブ辞退以降、肋骨完治に向けて
おとなしくしていたのだけど、一旦おとなしく
すると慣性の法則が働いてしまうからか
踊る意欲もおとなしくなってしまって
私練習できるのかなって不安だ。
3月4日(土)夕刻からライブに出演する
ことになっている。
それに向けて要練習なのだが、、、
来週は2か月ぶりにレッスンだ。
有子先生のオープンクラス。
それが意欲回復のきっかけになりますように。