唐突に思われるでしょうけれども
年末からずっと「終わりの日」
のことを考えます。
終活、という言葉が定着してきているので
終活、という言葉を使ってみましたが
実務的な準備、
という意味ではありません。
「終わり方」について
強く意識するようになった
という意味です。
「終わり方」を意識する
ということは、
今の「在り方」の見直しを
する、ということでもあり。
やはり、生けるものすべて
生まれる日があり
死ぬ日が来ます。
でも、私の思う死は
あの世への引っ越し、
あの世での誕生、
よく頑張ったね~
と労をねぎらう
お疲れさま会
この世への誕生は
あの世からの送り出し。
「いってらっしゃい」
「修行頑張って!」
なので、死は終わりではない、
あの世のお疲れ様会に行くセレモニー。
そしてまた、どこかで生まれ変わって
やってくる、命は循環している
・・・な~んてことを
想っているのですが、
分かっちゃいるけど、
なぜ死ぬのに生まれてくるのかな
なんて、生を受ける意味を
改めて考えちゃったりするわけです。
人だけでも何億もいる地球に
出会わず終わっていく何億の人が
いるのに、
なぜある特定の人たちに
関わることになったんだろうか、
・・・考えても決して
明らかになりはしないことを
気付くと、
ぐぅ~っと考え込んだりしています。
どんなお役目、宿題があって
生まれて来たのか
何を学ぶために、
生まれてきたのか
これは決して頭から離れることのない
テーマですが、このような状況になると
答えが出ないのを分かりつつも
海の底に探しに行きたく
なるというもの。
死を意識し始めると
周りの景色が違って見えたりして
世界が変わってしまいそうです。