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さようなら🌸ありがとう

投稿日:2018年4月9日 更新日:

2018年4月3日

お義母さんが旅立たれました。

 

 

4月3日は私の誕生日。

その日は、なかなか会えない親友と

奇跡的に会えることになり

誕生日ランチをする予定でした。

ランチの後は大事なフラメンコの

レッスン。

誕生日ランチにフラメンコ、

楽しいことづくめで、朝からウキウキ。

さあ、これからランチに出かけるぞ

というその時、夫から一通のメール。

「血圧が下がっていると病院から

連絡あり。まだどうなるかわからないが、

心構えはしておくべき状況になった」

主語がなくても分かるお義母さんのこと。

 

 

 

今すぐ行け、という感じでもない。

けど、万が一のことがあっては

後悔が残る。

一日くらいはもつものか

もたないのか。

駆けつけても、一旦は

戻る必要あり、

駆け付ける所要時間は

支度を含め3時間半から4時間。

さて、どうするか・・・

判断を誤ると後悔が残るので

再度確認してもらった。

夫だけでなく、我々も駆けつけたほうが

良い状況か否か。

「可能なら来た方が良い」との

返事に、すべてのスケジュールを

キャンセルし、前橋(群馬)に向かう。

 

 

判断は正しかった。

駆けつけて2時間後、

集まった子供たちが見守る中

お義母さんは静かに静かに

息を引き取りました。

 

 

 

大丈夫そうだから、

一旦帰ろうとしたけれど、

不思議な引き留めがあって

お義母さんの最期を

看取ることが出来ました。

本当に良かった、、、。

 

 

 

暮れに容態が悪くなり

もって3か月と言われて

3か月が過ぎたなあ、

まだ大丈夫かなあ

と思っていた矢先の出来事。

 

 

 

お義母さんは逝く日を

待ってくれていた、

としか思えない

絶妙なタイミングでした。

 

 

2-3月は子供がミスしたくない

たくさんのイベントがありましたが、

無事すべてのイベントに参加。

そして本当に何もない春休みの

谷間のような日。

 

夫にとってもそう。

決算で仕事を休めない2-3月に

かぶらず、ひと息つける日。

お義母さんと一緒に暮らして来た

孫の大学受験にも

かぶらない日、

私の知る限りでは

誰にも負荷の掛からない日でした。

 

 

 

生前も人に迷惑を掛けないどころか

むしろその逆の人でしたが

逝き方も同じ。

 

 

旅立ちノートには、残された

子供たちのために、事細かに

いろいろなことが書かれており、

葬儀の積み立ても自分でしていて

皆が困らぬよう、自分のことは

すべて自分で用意済み。

配慮の深さに子供たちは涙。

 

 

葬儀に駆けつけた親族、知人も皆

お義母さんに感謝の涙。

 

 

 

4人の子供を産み育て、

食料品店、食堂など各種店舗を

手伝ったり切り盛りしたり。

4人目の子供がほぼ成人近く

なってから夫に先立たれ

その後は、親戚の経営する

駅ビルの文房具屋店長として

白羽の矢が立ち、

75歳まで勤め上げる。

開店から閉店まで店長を

勤め上げるというのは、

そうそういないこと。

 

 

 

その文房具店が閉店となる最後日、

私はお義母さんのお店に行きました。

開店から関り、お店が閉店となるその日は

お義母さんも、勤め人としても最後になる日。

そんな大事な日は、是非見届けなければ!

と思ったんですね。

リスペクトとお疲れ様の気持ちを込めて。

普段は出不精の私が、

東京から前橋に行こうと思えたのは

お義母さんの凄さの故だと思います。

 

 

 

私が子供を産み、母乳が詰まり、

乳腺炎でのたうち回るような

痛みに見舞われ、家事がままならなかった時

お義母さんは前橋からさらっと

うちに来てくれて、ご飯を作り

洗濯をしてくれ、日が暮れる前に

前橋に戻る、そんな日がありました。

やってあげた感「ゼロ」

さらっとさりげなく普通に、

静かにやってのける。

気を遣わせずに。

 

 

 

学校の夏休みか冬休み、

家族で前橋に帰省したいつかのこと、

紙のカバーがかかった本を

食卓の隅に見つけました。

この本誰が読んでるの?

お義母さんでした。

お義母さんは図書館から本を

借りて来て読むのを習慣に

していることを知りました。

80歳を超えても夜、読書をして

床に付く。

天声人語も、入院間際まで書き写しを

されていたとのこと。

5年日記も毎日つけていて

3冊目に入っていたことを

義兄から聞きました。

 

 

入院先で、ろれつが回らず

話しにくくなっても、

本だけは持ってきてと

頼んでいたそうです。

 

 

最後の方は、耳も遠く

言葉も話しにくいので

筆談でした。

夫が筆談のために出した手帳を

取って、裏を見ていました。

文房具屋だったからどこの

メーカーか気になるんですね。

認知症になることもなく

頭と意識は最後まではっきりしていた

お義母さん。

 

 

 

子供を立派に育て上げ

夫に尽くし、夫に先立たれた後も

責任ある店長職をこなし、

シングルマザーになった娘を迎え、支え

孫を育て、最後の最後まで

生き切ったお義母さん。

 

 

 

ただただ尊敬しかありません。

そして、最期の日に私の誕生日を

選んでくれたことに、感謝。

 

 

 

この世の死は、あの世の誕生。

あの世では

「お疲れ様&おめでとう、

良くやったね!」

と称賛と慰めを受けていることでしょう。

そんな栄えある日に、私の誕生日を

選んでくれるとは、誠に誠に光栄です。

 

 

4/3 最期の日

4/7 葬儀

 

 

4/8は私も参加するフラメンコステージ。

葬儀までの数日で、子供たちは

所用をまとめ、葬儀で大方片が付く。

だから、4/8は戻って何の問題もなし。

 

 

 

喪に服す思いもあり、ステージは

自粛しようと思いましたが、

こんな絶妙なタイミングを

取り計らってくれたからには

可能になったことをやった方が良い、

お義母さんがそうしてくれたから

行ってこいという夫の言葉は、

お義母さんの気持ちだと

素直に受け取り、

フラメンコステージに

出ることにしました。

 

 

 

 

 

命には始まりと終わりがある

命は生まれ、そして死す。

しかし死は終わりではなく

新たな始まり。

桜が咲き、桜が散る

命の美しさとはかなさを見せてくれる

素晴らしい桜の季節、

88歳、米寿を全うし

逝ったお義母さん、

実に美しくきれいな

終わり方、

私もそんな終わり方をしたい、

模範を見せてくれました。

 

 

 

いかに終わるかは

いかに生きるか。

 

 

 

お義母さん

素晴らしい誕生日をありがとう。

そして

素晴らしいあの世での誕生日をおめでとう。

 

 

さようなら🌸ありがとう

※2018年1月 入院先にて

 

 

さらば友よ またこの場所で会おう

さくら舞い散る道の上で

 

 

来世、またお目にかかれますように🌸

 

 

お義母さんが逝かれる前日、

娘と行ったカラオケ

で歌った「さくら」が

今もずっと流れています。

その日はなぜか2回も

「さくら」を歌いました。

 

さくら

 作詞:森山直太朗

 作曲:森山直太朗

僕らはきっと待ってる

君とまた会える日々を

さくら並木の道の上で

手を振り 叫ぶよ

どんなに苦しい時も

君は笑っているから

挫けそうになりかけても

頑張れる気がしたよ

 

霞みゆく景色の中に

あの日の唄が聴こえる

 

さくらさくら今 咲き誇る

刹那に散りゆく運命(さだめ)と知って

さらば友よ 旅立ちの刻

変わらないその想いを今

 

 

今なら言えるだろうか

偽りのない言葉

輝ける君の未来を願う本当の言葉

 

移りゆく街はまるで

僕らをせかすように

 

さくらさくら ただ舞い落ちる

いつか生まれ変わる瞬間(とき)を信じ

泣くな友よ 今惜別の時

飾らないあの笑顔でさあ

 

さくらさくら いざ舞い上がれ

永遠にさんざめく光を浴びて

さらば友よ またこの場所で会おう

さくら舞い散る道の上で

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