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意識・メンタル

死は存在しない

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「死」とは何だろうか。

動く肉体が動かなくなること

肉体を脱ぎ捨てることを

人は「死」と呼んでいる。

 

しかし、肉体を動かしていた

意識、魂はなくなることはない。

存在の仕方、状態が変わるだけで

「なくなる」ことはない。

ただ、どういう「意識」で

存在するかが

重大すぎる問題ではある。

 

物体とは、人間が「可視」領域に

入って見える状態になった状態を

指すものであり、物体化する、

つまり可視化する以前から

「エネルギー」として存在している。

人間の可視領域に入る前から。

 

可視領域から外れると、

「なくなった」と認識するだけのこと。

 

~見えることの中にではなく

見えないことの中にこそ

真実がある~

 

こんな趣旨、こんなニュアンスの文章は

時折目にするけれど、これは抽象的な

ことでも、哲学的なことでもない。

 

目に見えること、五感で感じることが

全てではない、

それはほんの一部にすぎない

 

ということが、少しずつ分かってきた。

 

例えていうなら、

「人と繋がっていないことが淋しい」

という認識。

 

人と繋がっている、

ということを何で認識しているかといえば

連絡があるとか、会うとか、SNSで相手の

様子が伺える、などなど何かしら

五感で確認できることを指して

「繋がっている」

と認識している。

 

逆に言えば、連絡がないこと

人と会わないこと、消息がつかめないことを

「繋がっていない」と認識している。

これも人間の五感で捉えている範囲の

認識に過ぎない。

 

それらがなくても、実は目に見えない

意識界で人は繋がっている。

人だけでない、自然界も全て。

 

だけど、目に見えず耳で聞こえないから

繋がっている、と認識しないだけのこと。

 

誰も繋がりのない人はいない

繋がりのない存在は存在しない

 

ということを認識できれば

「淋しい」という感情を

抱くことはなくなる。

 

これから、「死」と認識されてる

事々に多く遭遇するだろう。

うちの犬も、一見若者のようだけれど

実は老犬だったんだよな・・・と思わされる

ことが増えてきた。

親も、そろそろ危ないなあと感じる。

もうダメなんじゃないか(肉体が)

と思う友達もいる。

 

ちなみに私はこの肉体をいつ

脱ぎ捨ててもいい。

ただ、その前にもっと重大なことがある。

それは、どういう意識で

この肉体を離れるか、

 

それは同時に、今どういう意識で

あるべきか、ということでもある。

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