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母が残したメッセージ

投稿日:

母が「介護~旅立ち」を通して

教えてくれたことは、大きくて大きくて

今回の生、つまり今生で最大級の

ことのように感じています。

 

 

母は父のところから私のところへ来て

8か月。長いようでとても短い時間でした。

父のもとから旅立っても良かったのに

なぜ私のところに来て、私のところから

旅立ったのか。

それは、私のところに来る必要があったから。

わかっていたことでしたが、

今改めてそう実感しています。

私が学ばなければならないことを

教えるために。

 

 

結局、人生で問われるのは、

どれだけの偉業をなしたか、

ではなく

どれだけ利他に生きたかであると。

 

 

 

母は自分の趣味などなく

ただただ家族に尽くした人でした。

家族に尽くすことが趣味みたいな。

 

 

 

今の風潮からすると、

「自分がない人」とも言われてしまう

かもしれません。

実際私もそう思うことがありました。

関心事が夫や子供のことだけなので

もっと自分自身を生きてよ

そんな風に思ったものです。

 

 

 

 

しかし、夫や子供のことが中心な

生き方こそ、母にとっては自分自身を

生きることでした。

 

 

どんな生き方も自由で、

生き方はいろいろだけど

私がこの両親を選んで生まれてきたのには

理由があって、利他的に生きている

この両親の生き方を見る必要があったのです。

 

 

宗教をやってるわけでもない

ボランティア活動をしているわけでもない

目立った活動をしているわけでもない

ただ素朴に小さな家族を大切にして

ごくごく普通の素朴な一般庶民、一般家庭

その与えられたポジションをひたむきに

生きていた。

 

 

母が亡くなって私の記憶に残されたものは

母がしてくれたことばかり。

若い時に追い求めていた

「自己実現」なんて、

どうでもいいことなんだなって

気づきました。

自己実現をどう捉えるかにもよりますが

「自分がやりたいこと」「自分がどうか」

なんて、究極的にはどうでも良い。

 

 

 

母のお下の世話、阻喪の後始末を

している時など、幾度となく思いました。

「これが一体何になるんだろう」と。

 

 

 

父が介護に限界を来した時、

母のことを「食べて出す(排泄)だけの存在」

としか思えなくなっていた時がありました。

なんということを言うのだろう

と思いましたが、今ではその気持ち、

よくわかります。

やってみなければ知りえない気持ち。

 

 

そう、そんな気持ちで日々目にする

排泄のこと。

トイレに行くたびに、トイレ周りは

汚れないだろうか、下着に汚れが

ついていないだろうかが気になる

気ぜわしさ。

排泄、食事、身の回りの世話の

いつまで続くかわからないサイクル

これはいったい何になるんだろう

 

 

沢山思いました。

(正直に言います)

 

 

でも、今思います。

そんなことこそが大切だったんだなと。

 

 

 

そしてそんな気持ちになるたび

思い出していた人がいます。

マザーテレサの姿です。

 

 

死にゆくばかりの人をお世話する

マザーの横顔が毎回思い出されるのです。

 

 

 

マザーはとても尊敬していますが

聖人とあがめてもいませんし

私はキリスト教徒でもありません。

ただ、キリストと呼ばれた

イエスの生き方にはインパクトを感じていて

イエスの言った言葉も頭をよぎっておりました。

「小さいものにしたことは、

神に対してしたことなのだ」と。

 

 

 

世間で偉いとされている人、力のある人

VIP待遇の人、そういう人には尽くそうと

するけれども、じゃあ、何もできない人

人の手を借りないと生きられない人に

継続的にそしてとても積極的に尽くし

続けられるかというと、私には難しい。

 

 

でも、今はそういうことこそ大切なんだな

って思います。

人の手を借りないといけない人は

人の手が「必要」です。

 

 

必要な人に貸せる手があるなら

差し出す。

 

 

私が母にできなかったこと。

 

 

見た目上は、「やっていた」こともあります。

でも、「疲れるな~面倒だな~もう嫌になっちゃうな」

そんな気持ちの時も多々あって。

表向き「やって」いても、

心の中がそうだったので

「やってない」のと同じでした。

 

 

いったん自分のことを置いて

人のニーズに目を向けるって、

私にはとても難しい。修行です。

だからこそ、母は私のところに

来てくれたんですね。

 

 

 

これが母が私に教えてくれたこと。

自分のことが出来なくなった母の残像は

今もなお私と共にあり、

私に多くを教えてくれています。

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