最近Favoriteか否か
「欲」か「欲ではないか」
を見分けることに苦労している。
とはいえ、ここで言う「欲」とは
食欲、性欲、睡眠欲など世間一般に
使われている欲の定義には当てはまらない。
魂からの望み、私の大好き、
私のFaveriteでない
もの全てを「欲」と呼んでいる。
例えば・・・
オープンクラスを自粛しようと
6月の目標を立てたのもその一環。
心のどこかに1㎜でも気が進まない
要素があるかどうかを見分けるのが
私の場合は結構難しい。
「そんな完璧なものって
そうそうあるわけじゃない、
どこか我慢しないと」
という声と逆行するものでもあるから。
完璧であるというと語弊がある。
自分が心からワクワクするという
意味。
「仕方がない、まあいっか」的
要素がないこと。
例えば、探せばわんさか出てくる
オープンクラス。
✔テーマが魅力的だけど、場所がちょっと
✔凄く良さそうだけど、何かひっかかる
✔この前は良かったけど、今回は行く気がしない
モヤモヤっとした感覚があるのに
それを言葉で認識できていない場合
「良さそう」というメリットだけで
つい、選んでしまったりする。
モヤっとした感覚は奥からの感覚
でも、あれこれメリットを上げ連ねて
納得させようとするのが思考。
いつの間にか思考にリーダーシップを
取られて、本音が無視されたり
声をあげてるのにスルーされると
後の展開は心地いいものではなくなる。
「やっぱりあの時の感覚は
正しかったんだ・・・」
大抵こうなる。
ここで例に出しているのは
オープンクラスであるが
オープンクラス自体の是非や
良し悪しなどは
全く意味していない。
どこまでも「今の自分」が
求めているものなのか
だけを問うている。
という意味では、
以前は行く気が起きなかったけど
今回はとても行ってみたい!
と思う時、そしてそこに妥協がない
場合もある。
妥協という欲が少しでもあるのかないのか
ここは本当に難しい。
特に、人間関係が出来てくると、
勝手に「行かないと申し訳ないから」
とか「人数少なくなって淋しいかな」
とか情を持ち出して考えてしまう。
この「情」も私の本音を裏切る妥協だ。
これまで教え込まれてきた
「人の為」「人を喜ばせる」
「誰かの役に立ちたい」
という考え方も、私は排除を心がけている。
一見、聞こえがよくて
美しそうな言葉、
宗教的、道徳的には正しい
とされている考え方だけど
女性には危険な思考だ。
もし、少しでも自分の本音が
二の次にされる要素があるなら
それは偽善であり、欲と断定。
でも、欲に気づけると
本当の望みを認識する
良い材料にもなる。
なぜモヤモヤするのに、
それでも選ぼうとするのか、
それを選ぶことで
何を実現したいのか、
それを実現するためには、
それは私の「大好き」から
出てきているものか、
ベストだと思い込んでいる
だけではないか
と考えていくと、別に全然
「Favorite、大好き」じゃないな、
となる。
けど、そうやってフォーカスしないと
私の「大好き」ではないものを
つい選ぼうとしてしまう。
私が選んでいることは全て
欲からではなく、緻密に吟味した結果です!
とは全然言えない。
けれども、何か心地よくない現象が
目に映ったら、それは思考が本音を
裏切ったことの現象化なので、
「ああ、やっぱり妥協だったか!」
と確認できる。
そんな試行錯誤の繰り返し。
「自分の本音を知るって
そんな生半可なものじゃないし
勇気と覚悟がいるもの」
という言葉が、ようやくわかってきた。