とても大胆な人の話です。
かつて音楽活動を始めた知人が、
アメリカ音楽業界、あるジャンルでの
ドン的な存在の人に
「あなたの音楽と私たちの音楽を
コラボすることは可能ですか?」
と尋ねました。
それを聞いた時、「まあなんて大胆な質問を!」
と思いましたが、一方で「素晴らしい大胆さ」
とも思いました。
関係性を具体的に説明すると
「大胆さ」の程度が分かるでしょうか、
ここでは私の趣味もあって、敢えて伏せておきます。
例えていうなら、小学生の娘が、松田聖子ちゃんに
「私音楽やってるんだけど、聖子ちゃんと一緒に
コンサート出来ないかしら!?」と尋ねた、
そんな感じ!?かなり規模も違いますが…。
注目すべきは、そのお相手の返答。
「Yes, of course. Everything is possible!」
そのやり取りは、もう何年も何年も前にこと。
でも、今わたしは、その言葉をなぜか鮮明に
思い出しています。
私の中にいくつかの漠然とした不安があります。
その一つは、「無理だわ」とか「私には出来ない」
と半ば強く信じてしまっていること。
しかし、その不安の正体は、
「出来ないこと」
なのではなく、私がそのように
「強く信じてしまっている」ことなのです。
私は不安の正体に気づきました。
根拠なく信じてしまっていることが
原因だったんだと。
私の奥底の声、本音が言っていることと
逆のことを強く信じている、
だから不安になる。
信じている主体とは私の「思い」。
「思い」が「本音」に向かって、
「何言ってんのあんた、無理に決まってるでしょ!」
といって、本音をねじ伏せている、
だから本音は心地が悪くて不安な状態になる。
本音は思いにねじ伏せられていることに
長年気づきませんでした。
でも、あるきっかけで気づいてしまいました。
気づいたとたん、急に蘇ってきたのです。
「Everything is possible!」
という言葉が。
本音が思いを打ち破った、
だから、本音が「Everything is possible!」
と自らの声をあげたのか。
ワタシがの望むことも、
あなたが望むことも、
それが本音なのだとしたら、
きっと
Everything is possible.
思いは時に嘘をつきます。
思いが本音だと勘違いしていることも
沢山あります。
何か心地の悪い感情を抱いている時
漠然とした不安がある時、
その時こそ、「思い」が「本音」
だと信じているのかもしれません。
あるいは、
思いと本音の違いにさえ気づかず
それらは一体だと思い込んでいる
だけかも・・・。