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メンタル

相性の正体

更新日:

自分にとっていい人が

他者にとっていい人とは限らない。

そんなのわかってるって思ってたけど、

わかっていなかった。

相対する人によって、人は違う側面が引き出される。

 

 

 

母は私に対して、素直。親に対して素直っていうのは

おかしな表現かもしれませんが、なんでも「そう?」

といって、受け入れる(表面上は)。

父に対してもそう。

だから、父はいつも「母ちゃんのように性格の良い

女性はいない」と言っている。

父の目には「性格の良い女性」

私にとっても「温和な女性」

 

 

でも、私の娘(孫)に対しては、全然違う。

ちょっと高圧的。ええ?母が?あの母が?

娘の話を聞いて、信じられなかったけど、

その場にいて、はじめて知った。

もちろん、娘の捉え方の問題もある。

母と娘(=ばあばと孫)はお互い「強く注意された」

と捉えている。

孫は「ばあばはママがいないと、いろいろ言ってくる」

といい

ばあばは「孫は、私に文句を言ってくる」という。

両方知っている私としては、二人の意見の食い違いが

不思議でならなかった。お互いの受け取り方に

行き違いが生じているのか、それとも

お互い無自覚に強い口調になっているのか。

確かにばあばが孫に何か注意している現場は

孫の言う通り、少々口うるさかった。

私には全然そうじゃないのに。

もっとも、私は何を言われるか予想つくので

先回りの術が身についている。

子供の時のことだけど。

孫は先読みも、先回りしないので、

それやったら、言われるでしょう、ということを

無自覚にやってしまう、というのはある。

 

 

いずれにしても、これは

「相性」の問題。

 

相手によって、引き出すものが違うし、

引き出されるものが違う。

 

 

仕事場でもそう。

例えば、自分以外の人には丁寧に教えているのに

私にはそこまで丁寧に教えない、、、、と感じる

ことがある。

少々、腹立たしくもあるれど、

母と娘、ばあばと孫の関係を見て思った。

「丁寧に教えたい」と思う相手と

「教えようと思わない」相手がいるんだなと。

「丁寧に教えられない」立場としては

「丁寧に教えてほしい」と思うわけだけど、

「丁寧に教えよう」と思わせないものが

自分にあるのだなあ、と思った時、

それは仕方ない、と思えた。

「しようと思わない」ことを「しろ」

といったところで、強制になる。

自然に任せた結果「丁寧に教える気にならない」

と思わせるものを私が引き出しているのだろう、

あるいは感じさせているのかもしれない。

いずれにしても、それはそれで、自然な形。

だとしたら、相手に要求するのは

まったく得策じゃない。

自分が出来ることを探すしかない。

対応の違いにがっかりしなくてもいい、

と分かって楽になった。

 

 

人によって対応が違うって、

そういうことか・・・。

私も、他者に対して、対応が違うことなんて

たくさんあるに違いない。

対応が違う理由は

自分の中で説明できるくらい自覚しているし。

その理由って何?って言われれば、

「私が感じた通り」としか言えない。

何かを感じ、感じたことに対する

自分の素直な反応、

それがその人に対する態度であり対応

 

 

 

相手の態度が自分の願わないものだとしても

それもこれもすべて、自分が引き出している

結果かもしれない。

 

 

「思いやりとは、相手に対して徹底的に

求めないこと、期待しないこと」

叶恭子さんの言葉、少しわかった気がしました。

 

 

 

「どうしてあなたは○○してくれないの?」

ではなくて

「それが私に対するあなたの自然な反応かあ

じゃあ、次何ができるかな」

そう思うほうが、先に進みやすい。

 

 

ちょっと話がそれましたが、

話を元に戻すと、

相性とは、引き出しあうものの正体

そう思ったことが今日の発見。

私が相手から引き出すものは

私の在り方の現れであり

相手が私から引き出すものは

相手の在り方の現れ

相手と私、両者の関係から

生まれる固有のもの。

だから、その人と他者との関係が

自分とその人の関係と同じであるはずがない。

 

 

 

あなたの周りはあなたの在り方の

写し鏡

 

 

そんなことがよく言われますけど、

確かに一理ありそうです。

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