わたしはわたしのピースを

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意識・メンタル

自分のレンズを通してみる猿之助ニュースはじめ芸能界

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今、表に出ている情報だけで感じた

私の勝手な印象

私のレンズを通してみる猿之助一家について

 

苦しかったんだろうなあ・・・

 

本当の理由はさておき

今私が映し出して見ているこのニュースは

私自身の奥にフォーカスを当ててくれた。

 

心から本当に歌舞伎がやりたかっただろうか

世襲制ってきつくないか?

新しいものを生み出さなきゃって

無理していたんじゃないか?

受け継いで繋いでいかなきゃって

それって本当にあなたが心から

望んだこと?

そもそも伝統って、

引き継が「なければならない」もの?

 

人は変化していく、地球も変化していく

変化のなかで、なくなっていくものがあるのは

自然なこと、新しいものが生まれ

古いものは消えていく

これは自然なこと。

あったものが亡くなるということについて

人間はどうしても「悲しい」という

捉え方をしてしまいがちだけど

本当は悲しくないのかもしれない。

 

美しいと捉えてもいいし、

どんなふうに捉えたっていいはず。

猿之助ニュースは、

そんなふうに考えていた

自分の奥に気づかせてくれた。

 

私はフラメンコが好きだと思ってきた。

そして、こういうフラメンコが好きだ

というのもあった。

でも、好きだと思っているにも拘らず

モヤモヤが伴っていることもある。

大抵はそれに気づかないのだけど。

 

感覚は確かにある

けど、

それを認識できていないと

モヤモヤが発生する

モヤモヤがあることすら

気づかなかったけど、

それに気づいた。

 

ワタシ、今まで好きだと思ってきた

タイプのフラメンコ、

実はそこまで好きじゃなかったかも。

それが認識できたということは

本当に表出したいものが

存在するという証拠でもある。

 

人は皆、個々に表出したい

その人だけのものがある。

誰とも比べられない、

比べる必要もなく

競う必要もない

その人だけのもの。

誰かに認めてもらったりする

必要もないもの

 

自分が自分で見て確認し

自分てこんなことを表現したかったんだ

こんなことが出来るんだ!

と自分が楽しめればいい。

 

誰かに憧れる必要もない。

 

皆が自分自身の世界観を

一番好きになり、

最高な自分自身を最高に楽しめるような

自立した世界。

だから本当は芸能界は要らない。

って思う。

 

芸能人自身も辛いはず。

スターのようで、本当は

踊らされ、使われ、奴隷のよう。

 

光が当たる人がいれば

当たらない人がいる

二元性の世界はそういうものだけど

そこに本来優劣はないはず。

誰かが優れていて、誰かが優れていない

ということもないはず。

 

本当は誰もが対等なはずなのに、

なぜか連綿と存在するピラミッド構造

強烈な力関係、上下関係、優劣の品定め

闇が深くなっても仕方ない。

 

自分だけが勝ち上る

自分だけが生き残る

ファンの人のためにとか

世間様のためにとかいう

綺麗ごとを被せて。

それだけ苦しい世界なんだ。

 

想像しただけで地獄。

 

ジャニー喜多川の由々しき話題はじめ

古き悪しきものはどんどん

表に出て、壊れていっている。

 

それはきっと新しい創造のため。

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