「筋トレをするから筋肉がつくのではない
筋トレすれば筋肉がつくと信じて
やるから筋肉がつくのだ」
という話。
前にも書いたことがあります。
妙に納得すると。
これが示唆していることは
「筋トレは無効」
という意味ではなく
「何を認識しているか」
が重要である、という意味。
「深く信じていることが現実化する」
という言葉でも表現されていますが
「信じている」とは「認識している」
に置き換えられるのではないでしょうか。
「深く信じ(=認識し)ていることが現実化する」
「信じている」とは
その他の可能性が思いつかないほど
あることについて疑いなくそうだと
思い込んでいるという
その人 固有の認識。
なのでこれを筋トレに当てはめると
「筋トレをすれば筋肉がつく」
こと以上に
「ワタシ、ここの筋肉弱いのよね」
と強く思い込みながら筋トレしても
「筋トレしても変わらない状態」を
造り出すだけ、ということになります。
そしてそれをみて
「ああ、やっぱり私は筋肉がつかないわ」
と認識し、
「私は筋肉がつきにくい」という認識を
更に強めてしまう。
これ、対象が筋トレ以外でも
当てはまるのではないでしょうか。
A:「出来ないから練習しなきゃ」
という認識と
B:「練習すれば必ずできるようになる」
という認識。
もし、練習の深い動機が
A>Bなのか(出来ないイメージ先行)
A<Bなのか(出来るイメージ先行)
どちらをより深く信じているかで
同じ「練習」という行為をしても
結果が変わって来るのではと。
というのは、弱いと感じている
足首強化の動作をしながらふと
思ったこと。
(あ、ワタシ、足首が弱いって
結構強く思い込んでるかも)と
発見。
こう思いながらやっていても
弱いままだろうな、って。
だからって、必ず強化されると
思い込むのも難しい。
じゃあ、どうすれば・・・
そうだ、弱いと感じていたのは
今までそこを使っていなかったからだ
(=他が頑張ってカバーしていた)
ということは、他に任せて
本人は眠っていたということになる。
ならば
「コンコン、起きてますか?」
って、お尋ねすればいい。
この動作をすれば、眠りから覚める
これなら思い込めるわ(笑)
自然に湧いてきた感覚なので。
どなたかの記事でも、
「筋肉とは
そこを意識するだけで反応する」
とありました。
共通するものがあります。
頑張って鞭打ち叩いて
ではなく
優しく起こして、起きてくれたら
一緒に遊ぶ
そんな感覚で
筋トレや練習を捉えなおしてみよう
と思いました。筋トレ嫌いな私に
ぴったり。