先日、治まっていた関節の痛みが
強く出た。
体の痛みや症状は、内面の表現
であるかどうか、自分自身で
検証していることは、
ちらほら書いている。
頭痛や熱、目眩に関しては
今となればなぜあの時表出したのか
過去に書いた通りだ。
肋骨骨折は外部からの衝撃が
原因ではあったけれど、
物理的にはそういった現象になっただけで
骨折も同様、私の内面意識が現象化したもの
とよくよく理解できている。
が、関節リウマチの痛みについては
まだわかっていなかった。
自分が不要な圧をかけているという
概要はわかっていたけれど、
どんな圧力をかけているかは
不明のままだった。
それ以前に、最近までは注射も減らし
薬で抑えてきていたので、検証を
迫られるほどの機会がなかった。
なので、2日ほど前の痛みは
検証の材料になりえた。
一体何を訴えてきているのか
とにかく内面意識にフォーカス。
といっても、そうそう簡単に
わかるものではない。
私が当たり前にやってきていること
問題だと思わずに認識してきたこと
よくよくフォーカスすれば
モヤモヤしていることなのに
それをモヤモヤだと認識せず
素通りしていること、
当たり前すぎて気づかなかったことを
自分で気づくというのは、根気のいる
作業だ。
「そんなこと一体どうやって
わかるんだろう・・・」
でも、諦めずに考え続けた。
でも、分かろうとするならば
必ずわかると信じているから。
(ただし、必ずわかる対象は
他人ではなく自分。)
これかな、あれかな、
いろいろ考えてみる。そして
奥に問い合わせてみるのだ。
そして、遂にこれか!?
ということを認識した。
認識するというのは、
感覚を言葉化するという意味だ。
当たりをつけてそれがビンゴだった時、
腑に落ちていくような感覚になる。
過去の頭痛、認識した瞬間に
すうっと消えた。
関節の痛みは、頭痛と同じ速度で
引いたわけではないが、
少しずつ和らいでいった。
1日経過した今、強い痛みはほぼ消失。
なくなったのは体の痛みだけではなく
圧力感覚とどことなく息苦しい
感覚も薄らいだ。
それらは、自覚できないくらい
自分にとって普通の感覚というか
通常の感覚だったので、なくなって
はじめて「圧力があったのだな」と
分かるシロモノ。
よ~~~くよ~~く探っていくと、
実は決して心地よくない感覚だったのに。
外部からのアプローチではない
内面からのアプローチ。
どこから見るかですべて
見方、見え方、捉え方が変わる。
今回当たりをつけた内面意識
その意識の使い方に気づいて
ああ、私はそう認識していたんだ!
と言葉化した時、それまでの認識を
変えることができる。
というより、自然に変わる。
結果、痛みという表現がなくなる。
完全に痛みがなくなったわけでは
ないけれど、でもこうやって
ひとつひとつ奥の感覚に
フォーカスして言葉化して
認識していけばいいのだな
と少し前進した気がして
とても嬉しい。