わたしはわたしのピースを

LA PiEZA

カラダ・食 意識・メンタル

情報を取り込む食

投稿日:2023年4月3日 更新日:

「なぜヴィーガンなの?」

 

ヴィーガンだというと例外なく

尋ねられる理由。

 

表面的な理由で済ますべきか

本当の理由を言うべきか

いつも迷う。

本当の理由を話したところで

100%理解されないことが

わかっているからだ。

 

説明してぎりぎり理解される

可能性のある言葉を使うとしたら、

 

「食するということは、

食べる物の情報を取り込むこと。

人間と同じように感情を持つ動物。

殺される時に生じる動物の感情は

食肉に残存する。

故に動物を食すると、動物の死体に

残存した負の感情感覚を取り込む

こととなり、その影響を受けるから」

という説明になる。

 

肉だけでない、肉から抽出する

出汁やエキスにも同じ情報が

残っている。

 

この

「情報を取り込む」

という概念、ホメオパシーを

知っている人ならばわかると

イメージしやすいと思う。

 

動物が人間と同じように

感情を持ち、人間と対等である

という認識があるかないかも、

また別の関門。

 

私は進化論は違うと考えていて

人間も動物も植物も鉱物も

すべてに優劣はなく同等だと

思っている。

 

「動物はダメで植物が良い理由は?」

これに関して、自分の中では

腑に落ちているけれど

説明は難しい。一つだけ言葉にすると

植物(動かないもの、静を担当するもの)

は、意識はあるけど感情はなく

動くものの中に入って(食されて)、

動くものの一部になったり

外に出たり(排泄されて)

土に帰ってまた芽吹くという

循環の意識があるということ。

 

動物さんの話に戻すと、

「動物は人間が使う言葉を話さないだけで

意識も感情も人間と同じように持っているし

家族もコミュニティーもある」

と認識している。

 

 

自分に置き換えて想像すれば

分かりやすい。

もし自分が食べられるために

殺されるとしたら、

どんな感情になるか。

恐怖、絶望・・・

 

戦争の悲惨さが語られるのと

変わらない悲劇的感情感覚。

 

殺される時の叫びにも似た絶望的な

感情は一体どんなだろう。

その感情が肉体に残らないわけがない。

殺された後の血の通わない肉になっても

感情と意識という情報はその物質に残る。

 

だから、動物を食するとは、

恐怖や絶望という情報を自らに

取り込むことになる。

そして取り込んだ情報に

必ず影響を受ける。

・・・と認識しているために

私は動物を食さない。

 

・・・ということを、動物を

食する人に説明するなんて、

相当デリケート!

それを聞いて、責められてるように

感じないならいいのだが。

 

そういう情報を

自らの体内に取り込むと

どうなるのか、その先もあるけれど

それは更に話せない。

 

例えば

「空は青い」と共通認識がある中

「私が見ている空は赤い」と言ったら

理解されない、それくらいの

「理解されない度」

 

 

動物は食べられるために

存在しているわけではない

故に、食されるために飼育され

屠殺されていくことに、

絶望し、怒り、悲しみがある

と私は想像しています。

 

卵ならいいじゃん、

・・・本来卵は命が生まれるもの

なのに、、、

 

牛乳なら牛を殺していないじゃん

・・・本来牛のお乳は子牛が

飲むためのもの。

それを人間が奪っていることに

牛さんはどう思っているだろう。

 

蜂蜜は?

・・・これも同じ。

蜂さんが労苦して集めた

蜜を、いいとこどりも

いいところ、

人間が奪っているとしか

私にはには思えない。

 

そんなこと言ったら何にも

食べられなくなるじゃん!

・・・果たしてそうだろうか?

 

人間が食べようとしているものが

多すぎるのではないだろうか。

欲張りすぎではないのだろうか。

 

パンダは笹の葉だけだよ?

他の動物だって、限られたもの

しか食べていないのに、あんなに

大きくなり、毛並みもツヤツヤ。

タンパク質が必要とか考えてないけど

あんなに美しく立派になる。

 

なんで人間はこんなに沢山

食べる物があるのに、

動物の命を奪ってまで

健康になろうとするのだろう。

いつまでも若々しくありたいと願い

生き延びようと思うのだろう。

 

若々しくありたいと私も思う。

生き延びようとはつゆ思わないが

生きている間は、出来るなら

若々しい方が望ましいとは思う。

けど、他の生命を奪ってまで

そうしたくはない。

豚の胎盤、魚のプラセンタエキスとか?

そこまでして若くなりたいとは

全く思わなくなった。

 

動物も植物も

循環する意識があるという。

老いて死して

土に帰って次に譲るという

ことを自然にやっている。

 

いつまでも生き延びたい

死にたくないという欲に

まみれているのは人間だけ、

むしろ人間の方が

自然界の中で

ダウングレードしていると。

 

次元上昇とか

アセンションとか

ステージアップとか

言っている人間が一番

奪う意識にまみれて

自分が頂点に立って

支配している。

 

スピリチャルなのは

動物、植物、人間以外の

自然界ではないだろうか。

 

人間が欲むき出しにすることを

「動物的」と表現することが

あるけれども、あの・・・

勘違い甚だしい、

動物さんに失礼では?と

よく思います。

「人間的」という表現のほうが

的を得てはいないだろうかと。

 

よく考えたら、

人間て相当上から目線。

無意識に、人間は動物の上に

立って良いと思っていないだろうか。

 

・・・なーんて話、

ランチやお茶をしながら話すって

される方も嫌ですよね?

知りたいと思って聞いたけど

聞いたら気分が悪くなる、

んじゃない?

 

でも、

動物を食する人を否定しません。

現に夫も動物を食するし。

それぞれの認識に立って選ぶことだから。

 

娘はなぜか私と認識が同じで、

ヴィーガン。

 

今日、新しくできたカフェに

娘と行ったら、とても魅力的な

パンケーキがありました。

ヴィーガンカフェではないので

食せるものがコーヒー、紅茶くらい。

 

でも、あまりにパンケーキに魅かれて

見えたので「食べたいなら我慢しなくて

良いじゃない?」と言った。

 

ヴィーガンは

我慢してなるものではなく

強制されるものでもなく、

心底認識したとおりにした結果

であるから。

「肉とか魚はダメだけど、

卵とか牛乳ならいいんじゃんって

気持ちが少しはある」

というので、

「それなら尚更、無理はやめな。

食べたいものを食べな」

 

そして、娘は久々に動物食を

口にしました。

しかし・・・

数分後、娘は気持ち悪くなって

半分残す。

動物さんの訴えてくる意識

迫ってくるような意識を

感じたのだそうです。

 

これは良い体験!

こういう感覚があれば

「動物食、ホントに無理

気持ち悪くなるんです!」

って言える。長い説明もいらない。

 

「ママも、動物食食べたら

そういう感覚になるかな?」

って娘に言ったら

「ママは無理、わからないと思う」

だって(笑)。

 

違う動機~栄養学の視点で~

ヴィーガンを取り入れていた

時の私は

美味しそうな目に麗しい

動物食スイーツを食していた。

生クリーム、

ホイップクリーム

チーズ類など大好きだったから。

「そんながちがちにヴィーガンに

ならなくたって6割で十分」

みたいに。

 

でも、今は動機もすっかり

変わったため、以前大好きだった

動物食スイーツや料理を見ても

「食べたい」とはつゆ思わなくなった。

我慢が一切ないので、楽で自由。

 

何からの自由かって?

いっぱいあります。

 

栄養学観点に縛られない自由

 

タンパク質を摂取しないと・・・

これを食べないと、

あれを食べないと、

という栄養学からの自由は

本当に大きい。

 

そして、肉や魚、その他

動物由来の食材を

買わなくて済む自由

 

食卓を華やかにしなくていい自由

いろんなものを食べなくて済む自由

-カラダ・食, 意識・メンタル
-, , , ,

Copyright© LA PiEZA , 2023 All Rights Reserved.