美容整形、一昔前の抵抗感が
だんだん薄れてきているように感じます。
美容整形に象徴される「見た目」
というテーマ。
「形」とも言えるでしょうか。
人(に限らずですが)の形というのは
その人それぞれの内面意識が
目に見える形となって表れている
という考え方があります。
すべては内側から外側へ
外とは内の表出、現れだと。
そういう視点で「整形」というもの
「形」というものを捉えるならば
内面意識が変わると、形も変わる
という理屈になる。
たしかに、人の顔って歳を取ると
ほんと~~~に変わりますよね?
遺伝とかそういうものでは
説明がつかないくらい。
人相も変わる、骨格だって変わったなア
と思うことがあるほど!
骨格は意識から始まり、使い方という
表現となり、その使い方を続けた
結果が形になるんだろうって思います。
じゃあ、生まれ持った形はどうなる?
今世はこのシナリオで行くぞ~!
それを全うするため、
生まれる前に決めてきた
「意識がある」というのです。
それに最もふさわしい両親を選んで。
この両親のRNAを貰うって使うぞ!
と決めて。
まあまあ、それはおいておいて。
意識の使い方によっては
顔の形も変わる、
という前提でいうなれば
わたしは骨の形すら、意識で変え得るのでは
と思います。
わたしの外反母趾も。
フラメンコの足打ちには
安定感を欠くという外反母趾
でも、それって本当かな?
外反母趾=安定感を欠く
って信じ込られてるだけでは?
外反母趾もまた、
自分が認識していないある意識が
形になっているのでは?
だから「外反母趾は絶対に治らない」
という説をわたしは疑っています。
外反母趾は治る!と改善実績を出してる
研究者、第一人者もいます。
わたしも実際その人のところに行って
レクチャーを半年受けてみました。
少々改善しました。
が、フラメンコの足を打つ重心の
使い方ではないので、私にとっては
レクチャー通りを続けることは
出来ないなと判断しました。
となると、そのレクチャー通りに
重心を使わない限り、外反母趾は
治らない、という理屈になる。
レクチャー通りに使えば
劇的に改善する、そんな症例は沢山
あるそうです。
わたしには適用できないだけで。
じゃあどうする?
って考えた時、それ以外の方法はないの?
って思いました。
そこで思いついたのが、
信じ込んでることを疑ってみよう
ということ。
そういうアンテナを立てると
引っかかってくるんですね。
違う情報が。
すべては「意識」の使い方であるという
え?じゃどんな意識の使い方?
わかりません💦
まだ実験し始めたばかりですから。
でも、
すべて「意識」の使い方が関わっている、
という直感だけがある。
わたしの顔が左右とても非対象な理由も
リウマチで関節が痛くなるという表現も、
「意識」なんだろうなと。
もし人類が
意識の使い方を完全マスター
出来たとすれば、美容外科も
なくなる時が来るでしょう。
自然整形が可能となりますから。
病院もまたしかり。
自分にとって病気という症状が不都合であるなら
それもまた治す(変える)ことが可能なのでは
ないでしょうか。
そう考えていくと、今の世の中で
要らなくなるもの、いっぱいありますね。
書き始めから結論が変わりましたが、
最初に言おうと思ったのは
✓ すべては意識で変わる
最後に言いたくなったのは
✓ 人間の意識が変われば、本当に必要なものだけになる
作文的には「論点に一貫性がない」
という指摘になりそうな記事でした(笑)。