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わたしが歴史の研究を辞めたわけ

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学校教育上の「歴史」という科目

これには本当に最後まで興味が持てませんでした。

教科書を読んだだけでは、

羅列されている事象の因果関係が

全く掴めなかったから。

読んだだけで分かる人が別の生き物に見えたほど。

 

なぜその事象が起きてきたのか、

どういう人間関係、どういう力関係で

そのような事象が発生するのかが

掴めなかった。

 

想像力がないからか、

繋げて理解する力がなかったからか

とにかくそれらが全く掴めなくて

それらを知る時間を取ろうにも

記憶するに到達できないのです。

脳に入れようにも跳ね返って落ちる

みたいな・・・

 

いろんな人が歴史を紐解くけれど

それはその人の視点であって、

頷けなければ一切頭に入ってこない。

 

あれこれかじってみても、

どこまでも残る違和感。

 

しかし、ある時「これは!」と思う

史観に出会いました。

私がずっと持ち続けてきた疑問が

腑に落ちる視点を持っている史観。

これは凄い!って思いました。

しかし、それを理解するには

外国語を理解するのに単語を知らなければ

始まらないのと同様、相当な人名や事象を

知らなければ理解を深めることは不可!

そう思うほど綿密で洞察深き史観。

非常に難解だけど、

洞察史観を通して、自分の在り方

未来の在り方、より正しい選択が

出来るのかもしれない、そんなことを

感じさせる内容で、

少しずつでも理解できるようになりたいと

思ったのです。

 

でも・・・

 

ある時、ある体験をして

あれほど素晴らしいと思った洞察史観の

追究を辞めるに至りました。

 

「わたしが信じ選択するタイムラインが変わると
それに伴い映し出されるもの・こと・人間の記憶したデータも変わり
映し出す人間も変わります。

物的観点からは同じ人物として映っていたとしても
旧タイムラインでのその人物と
新タイムラインでのその人物とでは

それはまったくの別物(別人)なのです。」

 

多分、ほとんど理解されない内容だと思いますが、

私自身が変わると、私の過去さえ変わってしまう

という不思議なことがほんの少しだけ垣間見えたのです。

 

これが事実だとすると、

歴史さえ、変わり得る。

どんなに洞察深いと思っても、

変わってしまうとしたら

歴史追究に意味はあるのか・・・

 

人間は時間軸で生きている

と認識している。

時間軸という基準で物事を捉えてる。

 

でも、時間軸を超えた次元もある。

点で無数に同時に存在しているという次元

 

歴史研究にいくらエネルギーを注いでも、

自分自身が変わった時、

それまで信じてきた物もすべて

新しい映し出しに変化するとしたら、、、。

 

そんな理由で歴史研究を一切辞めました。

今、報道されているニュースも

集合意識がタイムラグ後に映し出した

映像に過ぎない。

 

その集積である歴史もまた、

集合意識の映し出しの集積。

 

しかも、

報道されている事象の裏には

報道されない隠された事情もあるわけで。

 

じゃあ、一体私は何を見たらいいのか?

重要なのはそこだけ。

 

真実は人の数だけ存在する。

その人が信じた世界と

私の信じる世界は違う。

それを一つにする必要など

どこにあるのだろう。

 

世界というのは、その人が奥底で

信じていることが映し出されている映像。

集合意識が映し出している世界もあれば

集合意識から抜け出して見える世界もある。

 

わたしはどんな世界が観たいのか

魂からの望みは何か

何を観たくて、何を体験したくて

生まれてきたのか。

わたしはそれだけに注力する。

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