本日、買取業者さんに来てもらい
着物や母から譲り受けた宝石類を
持ってってもらいました。
買い取ってもらいました、
というより
持ってってもらった
って感覚です。
母から譲り受けた宝石類。
祖父は大阪で宝石商をしており
母も店を手伝っていた関係で
宝石愛はワタシよりうんと強く、
いつもアクセサリーを
付けていました。
しかし、私は
アクセサリーそのものに
殆ど興味がなく。
つけるのは、薄い耳にあけた
ピアス用の穴が塞がらないため
たまにつけるピアスの類。
しかも、高くて1000円台前半程度の
もので十分。
3種類もあれば十分。
指輪は炊事の邪魔になるので
結婚指輪以外にはめるとしても
1種類、装着頻度は多くて年1回。
いくら市場価値のあるものでも
「ワタシ」が「大好き」じゃないものは
「ワタシ」にとっては価値がない。
母から譲り受けたものの1/4は
私が「好きなもの」
3/4は価値があるんだろうけど、
大好きではないもの。
大好きじゃないものも
暫くは母の思い出、
手元に置いていました。
でも、
よく考えたら母はもう
お墓にはいないし、
3.5~4次元世界に生きているか
生まれ変わっているはずなので
「思い出だ」なんて
取ってある「もの」にあるのは
そう思っている私の残留思念のみ。
人が「宝」だと思っているから
「宝石」なのであって、
宝だと思わなければ
ただの「石」
過去のわたしの思念を「もの」に
残しておいても、意味がない。
循環の中にこそ「生」がある。
しまっておくだけ、
取っておくだけのものに
「生」はなく、停滞しかない。
だからでしょうか
ホントにホントに
「好きなもの」だけを残し
あとはお見送りできて
すっきりしました。
それでも、まだまだ残っています。
すっきりした後の私は、
更に状態が変わっているので、
現時点のわたしの視点がまた
変わるのです。
厳選したはずのものにたいして
今心のどこかで
「それ、いる?」って
言ってる気が・・・(笑)
「好き」
じゃなくて
「本当に好き」
で決めなきゃって
声も聴こえる(笑)。
私の方向性が更に絞られたあかつきには
洋服も含めて今の半分、
更に断捨離します。
ところで洋服と言えば、
正直なところ、
スーツってホントに嫌い。
なのにいつかわからない
「改まったところに出る時」
のために、ネイビー、黒、ベージュ
の3種類もスーツが1着ずつある。
私、本当は
スーツを着ない生き方をしたいの。
オフィスっぽい服は着たくないの。
去年振り返ってみたって、
黒の上、ベージュの上下は
1回も着なかった。
じゃあ、持ってる意味ないじゃん!!
春分に向けてまた更に
断捨離します。